アニメ『魔法使いの嫁』第3話感想【人とドラゴン、死に対する考え方】
アニメ『魔法使いの嫁』の感想です。前回、エリアスとのハニームーンでアイスランドにやってきたチセはドラゴンにさらわれました。チセ大丈夫かなぁ、と心配しながら迎えた第3話。初めて使う魔法でいきなり氷輪丸を発動するチセのポテンシャルならドラゴンも簡単に倒せてしまうだろう、だって効果バツグンだもん、と自分を励ましながら迎えた第3話の感想です。
「その名にある鳥のように、君も生きるためにこの空の下を飛びなさい」
あらすじ
アイスランドにハニームーンでやってきたチセはリンデルに連れられアイスランドにあるドラゴンの巣へ。そこで間もなく地に還ろうとしているドラゴンの長老と出会う。
感想
アイスランドにドラゴンの巣
ドラゴンに連れられて、あぁついに敵が登場か、バトルが始まるのか・・・と思いましたが、どうやらただのイタズラだったようで安心しました。魔法がテーマのひとつなので、バトル的な展開も期待してますが、しばらくはチセが傷つかなかったらそれでいいかなと思っていたり。しかしイタズラでドラゴンに人を加えさせて空中を移動し、あげくには水辺に放り込むなんておイタが過ぎるでしょ。
ドラゴンの巣の管理者
このドラゴンの巣の管理者、エリアスよりずっと年上らしい。前回、牧師のサイモンがエリアスのことを「いつから存在しているか分からない魔法使い」のようなことを言っていましたが、そんなエリアスよりもずっと年上ってことは相当年季の入った人物です。イタズラ好きなのは300年前から変わらないとか言われてますし。しかしこのリンデルといい、ロンドンに行ったときにエリアスの変装といい魔法使いの年寄りたちは若作りしすぎです。もっとダンブルドアみたいに潔く、いかにもって感じの恰好をしてみてはいかかでしょうか。
ドラゴンのひなたち、喋る
3頭の個性あふれるドラゴンのひなたち。ドラゴンというよりほぼ恐竜。そしてめっちゃ喋る。なぜだろう、第1話、第2話で妖精とか人外の存在がさんざん喋っていたのに、このドラゴンのひなたちが当たり前のように喋っていると違和感を覚えてしまう。
チセとドラゴンたちの死に対する思いが違う件
ドラゴンの長老がいうには、ドラゴンたちは死を恐れていないと。だから地に還ることを肯定的にとらえており、ドラゴンのひなたちも悲しいそぶりをみせず、まるでめでたい祭の日が近づいているかのように「もうすぐだね」と言っています。
それに対して人間は死を悲観的にとらえている。死が、生前にやり残したことを悔やんだり、大切なひとに会えなくなったりすることに繋がるから。
でもチセは、生きている人間にして死を羨んでいます。水辺に放り込まれたとき、どんどん沈んでいく体をよそに這い上がろうしませんでした。リンデルが驚くようすが見られます。ドラゴンの巣の管理者として、ドラゴンたちの死生観に理解がある者としては奇異に映ったのだと思われます・・・。
いや、普通に考えても異常か。人間なんだから死を恐れて当然。生きたいという意思がもっとも強いはず。だから緋村剣心も奥義を習得できたんだ。エリアスがドラゴンの巣のあるアイスランドにチセを連れてきたのは、心のどこかで死にあこがれているチセを考え直させるためだったのかも。コイツ、そこまで考えているのかな。
でもチセ、ドラゴンの長老にいいものを見せてもらったと思います。長老さんが地に還り木となるシーンで、チセとドラゴンのひなたちのリアクションの違いがちょっと切なかったな。今回見せてもらった空が、ちゃんとチセの中で生きるかどうかは今後も見守っていきたいところです。
こんな感じで終了です。